【電子産業】ソニーらしさとは「横断すること」

 常見陽平氏のエントリ

http://blogos.com/article/28582/

を呼んで、そういえばソニーらしさ」って何だろうな、と改めて考えてしまった。


 ソニーの技術者の開発履歴をひもとくと、興味関心に従ってポンポンと分野を変えていることが分かり、興味深い。私が思いつくだけでも、


・8ビットパソコンMSXを手がけていた技術者が、SuiCaEdyに使われる非接触ICカードFeliCaの基幹技術を開発した


・音響機器に欠かせないピークレベルメータの開発者が、家庭用ゲーム機プレイステーションの事業を立ち上げた(これはもちろん久多良木氏のことである)


UNIXワークステーション「NEWS」の開発チームが、後にPCブランドVAIOを立ち上げた


・エンターテインメントロボットAIBOを開発した技術者が、踊る音楽プレーヤRollyの開発に寄与した


Blu-ray Disc技術の開発者が、レーザ技術を応用した医療事業を立ち上げた


など、その横断っぷりは見事の一言である。

  
 ソニーの場合、イノベーションの起源はトップでなく、現場の技術者にある。VAIOプレイステーションFeliCaなど、ソニーが生んだ様々な革新的商品を生んだのは、「現場の技術者が『面白い』と思ったものには何でも取り組む」、というソニーの間口の広さだったと思う。


 Appleのように、創業者のトップダウンの元に商品を絞り込むこともなく、Googleのように「世界の情報を整理する」といった明確なビジョンを定めることもない(そのことは、ソニー全体の戦略に一貫性がないという欠点にもなっているが)。技術者が持つスキル、熱意、興味関心をタネにして、アメーバのごとく新規事業を立ち上げる、究極のプロダクトアウト型企業。それが、私の考える「ソニーらしさ」である。


 ソニーの有名な社是:

 「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

 は、まさにこの「技術者主導」を高らかに歌い上げたものである。このためソニーの社長は、個々の技術者が生み出すイノベーションを上手に引き出して統合する、音楽でいえば指揮者のような難しい役割が求められる。


 ソニーの次の社長と目される平井一夫氏は、CBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)の出身。それはかつて、初代プレイステーションのコントローラをめぐって久多良木氏と激論を交わし、中止が見込まれたFeliCa事業を「2年で中止とは何事か!もう一度やってみろ!」と救ってみせ、そして自ら音楽家としてタクトを振るった経験がある故・大賀典雄社長の出身と同じである。平井社長の指揮のもと、ソニーが新たな「ソニーらしい」事業を生み出すことを願ってやまない。

【書評】「一般意志2.0」が目指すシステムの実現可能性

 Twitterの登場で「備忘録」がブログからマイクロブログに移って以来、ブログの執筆はご無沙汰してましたが、年末年始で時間があるし、書評を書くにはTwitterの余白は狭すぎる、ということで。


 東浩紀著「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」読了。民主主義が目指すベクトルとしては賛同で、Government2.0にTwitterやニコ動コメントのようなリアルタイム参加機能を加味した民主主義システムを目指すもの、と解釈した。

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 ただ本書を通読するなかで、最後まで疑念が消えなかったのが、東氏の理想とする「政治参加コストを劇的に下げ」「大衆の無意識を可視化する」というITシステムが本当に実現可能なのか、という点である。当の著者が「夢を語っている」と言っているので、フィージビリティという視点で批評するのは反則かも知れない。だが、考察する価値はあると思う。


 まず、2chやニコ動へのコメント、ブログやTwitterといった「ネットへの能動的発信」を収集するシステムは、ノイジーマイノリティの主張が際立つバイアスから本質的に逃れられない。能動的発信そのものが、「その問題に高い関心を持ち」、「時間をかけて議論をフォローし」、「全員に見える形でコメントを書く」、といった点で、それなりに高い政治参加コストを求める行為だからだ。少なくとも、選挙で投票するという(ものの10分で済む)行為と比べれば、そのコストは高い。そのコストを乗り越えて、意見や感想を発信するには、ナショナリズムに代表されるような、それなりに強い思い入れが求められる。


 こうしたバイアスを避けるためニコニコ動画では、アンケート機能を使ってサイレントマジョリティの無意識の声を拾おうとした。アンケートは、求められて答えるという「受動的発信」を収集するシステムであり、政治参加コストを大きく下げられ、設計次第でバイアスを低減できる。とはいえ、そのシステムを突き詰めればマスコミの「世論調査」と何が違うんだ、という話になろう。


 その「能動的発信」とも「受動的発信」とも異なるような、人の無意識を自動収集するシステムというのは、本質的にあり得るのだろうか? 人の頭に脳波計でも付けない限り難しいんじゃないか? というのが私の疑問である。


 こうしたシステムは、設計を一つ間違えれば、大衆の空気を政治にダイレクトに反映させるシステムに早変わりしてしまう。戦前に反戦論を展開していた新聞が、戦争を求める大衆の無意識を具現化した「不買運動」というシステムの圧力に屈して戦争礼賛へと舵を切ったのは、大きな歴史の教訓である。そして、大衆の空気に対して「迎合」でなく「対決」できる政治家が少数派であることも、歴史の教訓の一つである。

なぜAppleはiPhone 4のアンテナ感度問題を見過ごしたのか

 集団訴訟を起こされるなど巷を騒がせていたiPhone 4のアンテナ感度問題、全ユーザーに筐体カバーを配るというアップルらしい方法で、一応の収束をみそうな気配。


 Jobsさんは設計ミスを否定しているが、Tech-On!の気合の調査レポート

iPhone 4のアンテナ問題,分解で浮き彫りになった原因 | 日経 xTECH(クロステック)

を見る限り、原因は設計ミスに限りなく近いと思える。「アンテナ技術に1億ドルを投じている」と吹聴するアップルが、なんでこんなミスを犯したのか? 素人なりに考察してみたい。


 Tech-On!レポートからの推測だが、今回の設計ミスの本質は「特定の握り方をすると、複数系統のアンテナの利得がすべて落ちてしまった」という点にある。


 多くの携帯電話は、送受信用のアンテナを2系統以上備えている。理由は複数あるのだが、その一つは、アンテナを内蔵した個所を手で覆われることでアンテナの受信感度が落ちるのを防ぐためだ。


 人体は携帯電話の電波を吸収するので、アンテナ部を手で覆ってしまうと、電波の強度は大幅に低下してしまう。このため一部の携帯電話には、異なる場所に複数系統のアンテナを収納することで、どこを握ってもアンテナの受信強度を維持できるようにしている。


 (ちなみに、折り畳めるクラムシェル型ケータイの場合、中央のヒンジ部にアンテナを収納する場合が多い。理由の一つは、通話時にヒンジ部を完全に覆うような持ち方をする人がまずいないため)


 さて今回のiPhone4のアンテナは、筐体下部にぐるりとめぐさせたアンテナと、筐体左下に内蔵したループ型アンテナの二本が確認されている。


 このうち前者は、アンテナの電極が左下部に露出している。この部分に手が触れると、手を通じて他の金属部とアンテナが結合、アンテナの特性が著しく変わって利得が劣化すると思われる。


 つまり、いずれのアンテナも筐体左下が弱点になっていて、その部分を手で覆ってしまうと、アンテナが2本とも利かなくなってしまうのである。本来は位置を離すべき2つのアンテナを近接させてしまったことが、今回のアンテナ騒動の根本原因と思える。


 多くの部品が密度高く詰まっている携帯電話では、設計者にとってアンテナの設置スペースをひねり出すは至難の業。Jobsからは「少しでもスペースがあれば電池の大型化に使え!」「筐体に可能な限り金属を使え!(金属筐体だとアンテナが設置できる場所が大幅に制限される)」とのプレッシャーがかかる。しかもスマートフォンの場合、折り畳み型のような「ヒンジ部」という万能の設置スペースがない。で、仕方なく左下部にアンテナが集中、しかもアンテナの電極部が露出、という危険な設計になったのではなかろうか。


 では何故アップルは、テスト段階でこの問題を深刻に捉えなかったのか? ブルームバーグ報道では、エンジニアの一人がこの問題を指摘していたが、Appleは深刻だと認識していなかったようである。iPhone4のテストユーザーは何も感じなかったのか・・・。


 !そういえば、例のGIZOMODE盗難騒ぎのとき、バーに落ちていたのは、「iPhone3GSに偽装した新型iPhone」だったか。


飲み屋に落ちてた次世代iPhone徹底解剖(その2) | ギズモード・ジャパン


 テスト機にもれなく偽装用カバーがついていたとすれば、アンテナ利得が低下する問題は起こらない。テストユーザーがまったくこの問題に気づかなかったのも納得である。先の盗難騒ぎといい、どうにもお騒がせなiPhone試作機だった、ということか。

電子書籍のデータファイル統一に意味はあるのか

 またずいぶんと筋悪な話だなあ。


総務、文部科学、経済産業の3省、電子書籍データファイル形式統一へ

 
 世界的にはGoogleソニー、アップル、Adobeが推す「ePub」がデファクト規格で固まっており、ePub日本語仕様も策定が進んでいる。極東の地で何が起きているのか。


 アクセスできる公開情報や報道ベースでは、3省の懇談会の方針は以下のとおりだ。


1.統一規格は「中間フォーマット」として他のフォーマットに変換できるようにする
2.日本語文化の世界発信のため、統一規格の国際標準化も目指す。
3.統一化には、シャープ、ボイジャー凸版印刷、大日本など電子書籍にかかわる民間企業が参加(あれ?ソニーは?)


 ・・・頭がクラクラする。解けない方程式を解いているかのようだ。6/2に総務省が公開した資料(PDF)をみると、この方程式の解が曲がりなりにも見えてくる。意訳でまとめると、


1.XMDF(シャープ)と.BOOK(ボイジャー)から日本語表現の仕様を取り出して抽出して統合。そこに「国家規格」のお墨付きを与える


2 この国家規格を国際標準(IEC62448)として提案する。


3 これで出版社は、既にXMDF化した4〜5万点の電子書籍もシームレスに移行できて(゚Д゚)ウマー


4.ePubだあ? 縦書きもできない仕様は不要。統一形式のファイルを変換してePubを生成すればいいだろ。


 ・・・なんか、日本政府がまるで(独自仕様であるTD-SCDMAやAVSを推進した)中国政府のように見えたのは私だけだろうか。


 最初に私が「筋悪」と言ったのは、中間フォーマットというのは本来、最終フォーマットと比べ情報としてリッチでなければならないのが本筋のため。中間フォーマットから最終フォーマットに変換する際にはエントロピー増大の法則(?)により、情報が劣化する。具体的には、ルビの位置が微妙にずれたり、レイアウトが崩れる。機能も一部削られる。


 原則論でいえば、中間フォーマットがプアだと、最終フォーマットもプアにならざるを得ない。電子書籍の場合、中間フォーマットはDTP(DeskTop Publishing。出版物のデザイン・レイアウトをパソコンで行なえる、Indesignのような自動組版ソフト)レベルのリッチな情報が入ったフォーマットの方が良いことになる。さらに今後、電子書籍スクリプトなどで双方向機能が埋め込まれるとすれば、中間フォーマットはこうした機能の発展をさまたげる邪魔ものになりかねない。


 もちろん、筋悪であるのを承知で言えば、中間フォーマットは必ずしもリッチである必要はない。テキストや図版Jpgなど最小限の生データを備え束にできる仕様を統一規格にして、端末ごとのフォームファクタの違いは出版社側で頑張ってチューンし直してくれ、というもの。どうも総務省案もこの考えに沿っていると思われ、昨日私がツイートで電子書籍規格統一の報道について「テキストかEPUBでいいじゃん」とつぶやいたのはこの仮説に基づく。でもこれだと中間フォーマットがあっても出版社の作業能率は全然高まってないよねと、そもそも国家規格の存在意義に疑問符がつくわけで。


 まあ身も蓋もなくいえば、@masanorkさんが言及していたように「DTPソフトがPDFもePubXMDFも吐き出せるようになったら、統一仕様なんて要らなくなるよね」ということだと思うのだが、どうなんだろう。

 なぜソニーは凸版印刷、KDDI、朝日新聞と組んだのか

 私にとって電子書籍は、仕事上はカバー範囲外ながら、1人の物書きとしては大変興味ある分野である。そこで、公開情報をもとに「なぜソニーは日本市場で4社連合を組んだのか」について、現時点での仮説を備忘録として書き留めておこうかと思う。


 今回の4社発表会は、各社の狙いがなんとも分かりづらいものだった。「企画準備会社を設立」「4社が均等出資」「1500万円ずつ」という情報では、まだ4社の本気度は測りようがない。事業会社に昇格したときの出資構成をみるしかない。


 ただ一つ明らかなのは、ソニーは今回、自ら配信プラットフォームを手掛けるスキームを、日本市場に限っては断念したことだ。米国で市場が立ち上がったSony Reader、KindleiBookは、いずれもソニー、アマゾン、アップルが自前で出版社と直接交渉し、DRMやビューアーも自ら用意している。ソニーは日本でのみ、世界と全く異なるスキームで市場開拓に臨むことになる。
追記:ソニーは欧州などでは書店と組むなど異なるスキームも採用している、とのツッコミをいただきました。失礼しました〜


 これは、ソニーの過去の失敗に照らせば賢明な判断だ。なぜ日本で電子書籍が盛り上がらなかったかといえば、出版社が「一定規模に普及したプラットフォームにしかコンテンツを出さない」という気質を持っていたためだ。


 国内出版社は世間で言われるほど電子出版に消極的ではない。多くの漫画コミックが携帯電話で読めるし、PSPやiPhone、iPadでの配本も既に始まっている。これらの共通項は、いずれも、ほぼ数百万台という普及を実現済み、または実現が見えている機器、つまり「プラットフォームとして成立している機器」であることだ。


 小さなプラットフォームに電子書籍を配本しても、日本では権利処理の手間賃(数万円)すらまかなえない。ここに、電子書籍に特化した端末であるKidleやSony Readerが日本に進出できない理由、そして過去のリブリエが失敗した理由の一つがある。


 では、国内で書籍端末市場を立ち上げる鍵は何か? 私は3つあると考えている。


 1つはiPhoneiPad、Andoroid、PSPなど、既に普及した汎用機へアプリを配信し、プラットフォームの規模を可能な限り大きくすること。もう一つは、新刊について数百〜数千部ほどを買い取る仕組みを用意すること。国内では取次が初版を買い取ることで出版社に一種のファイナンスを実施しているが、その役割を肩代わりする。ここまではどのプラットフォーマーも採用するだろう条件だ。


 そして3つめ、最も重要な要素が、電子書籍ステークホルダーを抱える一種のコンソーシアム的仕組みを用意すること。DRMを含めた規格の策定について、出版社を含めたステークホルダーの一部に決定権(Steering Commiteeとしての投票権)を引き渡す。かつてDVDやBlu-rayで、ハリウッド業界を巻き込んで一定の成功を収めた手法である。


 今回は4社がコンソーシアムでなく準備企画会社という点が光ディスクと異なるが、これは意思決定スピードを高め、サービスのローンチを可能な限り早めるための策だと思う。4社の構成は、ソニー(端末)、KDDI(通信)、凸版印刷(傘下に90%出資の電子書籍取次を抱える)、朝日新聞(コンテンツ)と、たたき台となる仕様を決めるには申し分ない。記者会見で4社は「競合他社の参加は拒まない」と明言している。


 恐らくだが、この4社連合はiTunesのようにマーケットストアまで独占することは考えていない。それをやると、「ストアで新潮社の書籍が集英社より目立った場所に置かれているのはなぜか」のような問題が噴出し、出版社がスキームに乗りにくくなるためだ。4社連合は、規格策定とビューアの提供に徹し、マーケットストアはソニーKDDIなどが独自に運営すると考えるのが自然だろう。例えば、ソニーは「Sony Reader」向けには自社でマーケットストアを運営。だけど、KDDIのショップで購入した書籍もSony Readerで閲覧可能、といった具合。


 ・・・もうちょっと細かく事業モデルの予測は立ちそうなのだが、もうお仕事の時間なので今日はここまでにしておきます。

【書評】自分をデフレ化しない方法

 勝間和代氏の「自分をデフレ化しない方法」を読んで戦慄した。

 
 彼女が本書で主張する景気回復策は、デフレの解消を最優先とし、政府が30兆円の国債を新たに発行し、日本銀行が直接引き受ける案だ。この30兆円は子育てや福祉などの公共投資にあてる。


 金融政策としてのリフレの是非はともあれ、国の借金をこれ以上増やしていいのだろうか? この素朴な疑問に対し、勝間氏はこんな例え話を提示した。このまま少子化が進めば、2000年後には日本国民が一人だけになる。その人は国民としての国債という資産と、政府としての国債という負債を同時に持っている。だから、負債は資産で帳消しにできる。


 それって、政府部門による家計部門の富の収奪以外の何だというのかしらん。


 日本人が二人だけ("政府"さんと"家計"さん)になったと考えれば、ロジックは明確だ。"家計"さんが働いてコツコツと貯金し、資産を国債として保有していたとする。そこに、国債という負債を持つ"政府"さんが、「このままではボクが破産するから、ボクの借金を帳消しにしてくれ!」とせがむ。国民は2人だけだから、"家計"さんが持つ国債を買い取ってくれる人は誰もいない。国民として、"政府"さんを破産(国債デフォルト)させるのも気が引ける。泣く泣く"家計"さんは、地道に働いて得た国債を雀の涙ほどの安値で”政府さん”に譲り渡す…


 経済評論家の大前研一氏は「日本政府は、いざとなったら国民の1300兆円の資産をパクリにくる」と常々警告していた。


 政府はいざとなれば日本円を増刷してハイパーインフレを起こすことで、負債を容易に圧縮できる。もちろんそのとき、国民の資産は実質的に大きく目減りする。あるいは、郵便貯金の限度額を高めて預金を集めておくことで、金利が上昇→国債が暴落→ペイオフで預金者の資産を目減りさせる、などのハードや収奪シナリオもありえる。


 いま、日本のソブリンリスク(国債リスク)がギリシャのように顕在化していないのは、国民が(郵便局や銀行を通じて)国債をせっせと買い続けているという事実によるところが大きい。勝間氏も、あるいは金融担当の亀井静香氏も、こうしたロジックを熟知した上で、「富の収奪」に向けた下地を整えているように見えて恐ろしい。

 

【書評】M&A国富論−−ちょっと無理がないか?


 民主党が「公開会社法」なる法律を検討しています。ウェブ上でも


池田信夫 blog : 「公開会社法」が日本を滅ぼす
公開会社法なる法律を作ろうとしている奴がいるらしいが | 堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」


 など議論が沸騰するなか、これは読まねばと思ったのが「M&A国富論」でした。株主至上主義でも資本鎖国主義でもない、新たなM&A資本主義の道を模索します。

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 本書の前半は、日本および世界の企業ガバナンスの解説として秀逸です。買収後の企業価値を過大評価した(=思い上がった)会社が買収に成功してしまう「勝者の呪い」、会社の価値によらず”みんなが買っている株”を買うことが合理的戦略になる「美人投票」など、M&Aに関する制度的問題点を丁寧に解説しています。大変勉強になりました。


 一方、どこか違和感がぬぐえないのが後半です。国富(=GDP)を最大化するM&Aの制度設計について、筆者の主張は次の二つに集約されます。


1.(現経営陣の同意なく)株を20%以上買い進めた場合は議決権を失う。合併交渉が不調に終わった場合は委任状争奪戦(プロキシーファイト)で争う

2.ある会社がTOBを仕掛けた場合、他の会社は「対抗提案」としてTOBを仕掛けられない


 ・・・うーん、意図は分かりますが、一読して「あまりに無理がある制度設計ではないか」と感じますがいかが。


 1.については「企業とファンドと協調して19.9%ずつ取得した場合はどうなるんだろう」という疑問が脊髄反射的に浮かびます。上記の場合、3分の1を超える議決権を苦もなく取得できてしまいます。経営陣が発動の可否を決める他の防衛策と違い、この制度は20%を超えると自動的に発動するだけに、発動の基準にあいまいな点があるのは致命的なのでは。


 2.を導入した場合、「第三者に、誰も本気にしないくらい低い取得価格でTOB提案してもらうのが最強の買収防衛策」になるんじゃないでしょうか。誰かが敵対的TOBを仕掛けそうと噂を耳にした段階で、ダミー会社にTOBを仕掛けてもらえば、その間は誰も手が出せません。


 1、2、とも、こうした抜け穴を塞ぐため、裁判所への異議申立制度など運用面で解決できる可能性はあります。でもその場合法廷闘争が入るという現行の制度の弱点がそのまま現れてしまいます。これじゃ何のための提案か分かりません。

 
 上記見解は、会社法の専門家ではない一個人の感想であり、大きな論理の穴があるかもしれません。反論あれば是非。