電子書籍のデータファイル統一に意味はあるのか

 またずいぶんと筋悪な話だなあ。


総務、文部科学、経済産業の3省、電子書籍データファイル形式統一へ

 
 世界的にはGoogleソニー、アップル、Adobeが推す「ePub」がデファクト規格で固まっており、ePub日本語仕様も策定が進んでいる。極東の地で何が起きているのか。


 アクセスできる公開情報や報道ベースでは、3省の懇談会の方針は以下のとおりだ。


1.統一規格は「中間フォーマット」として他のフォーマットに変換できるようにする
2.日本語文化の世界発信のため、統一規格の国際標準化も目指す。
3.統一化には、シャープ、ボイジャー凸版印刷、大日本など電子書籍にかかわる民間企業が参加(あれ?ソニーは?)


 ・・・頭がクラクラする。解けない方程式を解いているかのようだ。6/2に総務省が公開した資料(PDF)をみると、この方程式の解が曲がりなりにも見えてくる。意訳でまとめると、


1.XMDF(シャープ)と.BOOK(ボイジャー)から日本語表現の仕様を取り出して抽出して統合。そこに「国家規格」のお墨付きを与える


2 この国家規格を国際標準(IEC62448)として提案する。


3 これで出版社は、既にXMDF化した4〜5万点の電子書籍もシームレスに移行できて(゚Д゚)ウマー


4.ePubだあ? 縦書きもできない仕様は不要。統一形式のファイルを変換してePubを生成すればいいだろ。


 ・・・なんか、日本政府がまるで(独自仕様であるTD-SCDMAやAVSを推進した)中国政府のように見えたのは私だけだろうか。


 最初に私が「筋悪」と言ったのは、中間フォーマットというのは本来、最終フォーマットと比べ情報としてリッチでなければならないのが本筋のため。中間フォーマットから最終フォーマットに変換する際にはエントロピー増大の法則(?)により、情報が劣化する。具体的には、ルビの位置が微妙にずれたり、レイアウトが崩れる。機能も一部削られる。


 原則論でいえば、中間フォーマットがプアだと、最終フォーマットもプアにならざるを得ない。電子書籍の場合、中間フォーマットはDTP(DeskTop Publishing。出版物のデザイン・レイアウトをパソコンで行なえる、Indesignのような自動組版ソフト)レベルのリッチな情報が入ったフォーマットの方が良いことになる。さらに今後、電子書籍スクリプトなどで双方向機能が埋め込まれるとすれば、中間フォーマットはこうした機能の発展をさまたげる邪魔ものになりかねない。


 もちろん、筋悪であるのを承知で言えば、中間フォーマットは必ずしもリッチである必要はない。テキストや図版Jpgなど最小限の生データを備え束にできる仕様を統一規格にして、端末ごとのフォームファクタの違いは出版社側で頑張ってチューンし直してくれ、というもの。どうも総務省案もこの考えに沿っていると思われ、昨日私がツイートで電子書籍規格統一の報道について「テキストかEPUBでいいじゃん」とつぶやいたのはこの仮説に基づく。でもこれだと中間フォーマットがあっても出版社の作業能率は全然高まってないよねと、そもそも国家規格の存在意義に疑問符がつくわけで。


 まあ身も蓋もなくいえば、@masanorkさんが言及していたように「DTPソフトがPDFもePubXMDFも吐き出せるようになったら、統一仕様なんて要らなくなるよね」ということだと思うのだが、どうなんだろう。