【書評】「一般意志2.0」が目指すシステムの実現可能性

 Twitterの登場で「備忘録」がブログからマイクロブログに移って以来、ブログの執筆はご無沙汰してましたが、年末年始で時間があるし、書評を書くにはTwitterの余白は狭すぎる、ということで。


 東浩紀著「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」読了。民主主義が目指すベクトルとしては賛同で、Government2.0にTwitterやニコ動コメントのようなリアルタイム参加機能を加味した民主主義システムを目指すもの、と解釈した。

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 ただ本書を通読するなかで、最後まで疑念が消えなかったのが、東氏の理想とする「政治参加コストを劇的に下げ」「大衆の無意識を可視化する」というITシステムが本当に実現可能なのか、という点である。当の著者が「夢を語っている」と言っているので、フィージビリティという視点で批評するのは反則かも知れない。だが、考察する価値はあると思う。


 まず、2chやニコ動へのコメント、ブログやTwitterといった「ネットへの能動的発信」を収集するシステムは、ノイジーマイノリティの主張が際立つバイアスから本質的に逃れられない。能動的発信そのものが、「その問題に高い関心を持ち」、「時間をかけて議論をフォローし」、「全員に見える形でコメントを書く」、といった点で、それなりに高い政治参加コストを求める行為だからだ。少なくとも、選挙で投票するという(ものの10分で済む)行為と比べれば、そのコストは高い。そのコストを乗り越えて、意見や感想を発信するには、ナショナリズムに代表されるような、それなりに強い思い入れが求められる。


 こうしたバイアスを避けるためニコニコ動画では、アンケート機能を使ってサイレントマジョリティの無意識の声を拾おうとした。アンケートは、求められて答えるという「受動的発信」を収集するシステムであり、政治参加コストを大きく下げられ、設計次第でバイアスを低減できる。とはいえ、そのシステムを突き詰めればマスコミの「世論調査」と何が違うんだ、という話になろう。


 その「能動的発信」とも「受動的発信」とも異なるような、人の無意識を自動収集するシステムというのは、本質的にあり得るのだろうか? 人の頭に脳波計でも付けない限り難しいんじゃないか? というのが私の疑問である。


 こうしたシステムは、設計を一つ間違えれば、大衆の空気を政治にダイレクトに反映させるシステムに早変わりしてしまう。戦前に反戦論を展開していた新聞が、戦争を求める大衆の無意識を具現化した「不買運動」というシステムの圧力に屈して戦争礼賛へと舵を切ったのは、大きな歴史の教訓である。そして、大衆の空気に対して「迎合」でなく「対決」できる政治家が少数派であることも、歴史の教訓の一つである。