「書くこと」の倫理

 藤代さんからの問題提起(ヤフー社長室長による「ステルスロビー活動」記事の問題点。自らの利益のためにメディアを使うのを戒めよ(藤代裕之) - 個人 - Yahoo!ニュース)についてつらつら考えているうちに、そもそも日本の大学では「Writing Ethics」または「Publication Ethics」について学ぶ機会が少ないのでは、と思い至った。

 
 この点が、コピペからステマ、ステルス利益誘導、さらにこうした問題への周囲の感度の鈍さを生んでいるのかもしれない。いやそんな解説はいいから、と言われるのは承知の上で、「なぜダメなのか」をしっかり論理立てて説明できるよう、ちょっと書いてみる。

 
 欧米の大学では、他人の文章を盗んでレポートや論文を仕上げる行為、つまり剽窃(plagiarism)は、ときには退学にも値する罪である。学生が授業のレポートを提出用サイトにアップロードすると、自動的にコピペ検出ソフトにかけられ、剽窃がないか常にチェックを受ける(少なくとも、私が受講した通信制大学院はそうだった)。この経験を通じ、学生に「コピペはダメ、絶対」という倫理を血肉に叩き込むわけだ。

 
 もう一つ、書くことにおける重要な倫理の一つに、情報公開(Disclosure)の原則がある。

 
 典型的な例として、新薬の効果検証などの学術論文ではFinancial Disclosure、つまり研究の資金提供元を明記する義務がある。その研究の信ぴょう性を判断する上で、当該製薬会社から資金援助を受けているか否かは、読者にとって重要な情報だからだ。


 「資金援助を受けているから一律ダメ」ではなく、その資金提供の件を含め、読者が総合的に信頼性を判断できるだけの情報を提供する、というのが情報公開のミソである。


 これにとどまらず、外部公開を前提に書いたあらゆる文章について、文章中の主張と著者の間に何らかの利害関係がある場合にはそれを明記する、というのが情報公開の原則だ。欧米の書籍で前文の謝辞がやたらに長いのも、書籍の執筆に協力した人間や企業を明記し、文章をとりまく利害関係を明らかにする、との原則にもとづくものである。


 ちなみに、学術論文における出版倫理(Publication Ethics)の優れた資料はこちら(日本語訳PDF:Author Services)。学術論文の世界は、スポーツのゴルフなどと同じく相互の信頼を前提にしているため、最も厳しい内容の倫理規定を持っている。「利害の対立」の項を引用しよう。

(利害の対立)
 編集者、著者、査読者は客観的にデータを提示し見直す能力に影響を与えると思われる利害を公表する責任がある。これらには、関連する経済的(例:特許所有権、株式所有、コンサルタント、講演料)、個人的、政治的、知的、宗教上の利益が含まれる。


 さて、上に挙げた剽窃の禁止、情報公開の原則は、ニュースメディアにも適用される。メディアにおいて剽窃が重罪なのは言わずもがなだが、情報公開という倫理については案外浸透していないかもしれない。

 
 伝統的なメディアでは、記者と取材対象者は元々は赤の他人であることが多く、直接的な利害関係にあることは多くない。そもそも利害関係の問題が発生しないよう、一般にメディア企業は内規で記者の株式売買を禁止したり、編集と広告の組織を分離したりしている。それでも、編集者として他人の原稿やインタビュー記事をメディアに載せる場合は、その人と主張の間に隠れた利害関係がないかどうかを常に頭の片隅に置き、必要なら問いただすべきだろう。


 さて最近では、業界の当事者がブロガーとして積極的に記事を書くようになった結果、記事の内容がブロガーの利害と関連するケースがしばしば起きるようになった。まさに、今のメディアは「当事者の時代」ということか。


 たとえば技術系ブログメディアのTechCrunchでは、まれに記事の最後に「Disclosure:」の但し書きが登場する。(例:Okta Scores $75M In Final Round Of Funding; Hopes To Go Public In A Couple Of Years – TechCrunch)。「筆者は、文章中のベンチャー企業に出資している」といった事実を明記したうえで、記事の信頼性を読者に判断してもらう、というわけだ。


 それでも、この利害相反問題(Conflict of Interest)と情報公開をめぐる混乱が絶えることはない。いささか旧聞だが、TechCrunch創業者のMike Arrington氏の辞任をめぐるこの記事(CrunchFundとArringtonの編集長離任に関して―われわれの倫理基準に裏表はない | TechCrunch Japan)は、書き手としてのブロガーの倫理を考える上で、格好の教材を提供している。


 というわけで、新旧問わずメディアの信頼性を高めるうえでも、書くことの倫理については粘り強く、指摘や啓蒙を行う必要があると思う次第。コピペ論文が軽々と博士審査を通過したり、軽はずみな書き込みで炎上する人が後を絶たない今ほど、日本の大学には「書くことの倫理」を学生に血肉まで染み込ませる責務があるのではないかと。