【書評】国策捜査ではなくKY捜査? 「国家の罠」と「反転」を読む

 この一週間で,東京地検特捜部に関わる本を立て続けに読んだ。佐藤優著の「国家の罠」,田中森一著の「反転」である。いずれの著者も,特捜部の捜査で逮捕・起訴され,本人が無罪を主張している点で共通している。中でも佐藤優氏は,特捜部の捜査について,日本の政策転換を推し進めるため”冤罪”を自ら作り出す「国策捜査」だと批判した。「国策捜査」は流行語にもなった。


 この両書を読んで面白く感じたのは,国策捜査を発動させる主体が誰か,(著者も含め)本の登場人物の誰もが,結局分かっていないことだ。

国策捜査は,『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために,何か象徴的な事件を作り出して,それを断罪するのです」(検察官の西村氏,「国家の罠」より)


「日本の政策がケインズ型公平配分からハイエク型傾斜配分に転換するなかで,ケインズ型を体現する鈴木宗男が標的にされた」(田中優氏の主張の要約)


「基本的に検察の捜査方針はすべて国策によるもの。換言すれば,現体制との混乱を避け,ときの権力構造を維持するための捜査ともいえる」(田中森一氏,「反転」より)

 それぞれ一定の真理を突いた意見だとは思う。では,最終的に国策を判断し,誰を捜査するかを判断する主体は誰なのか? 鈴木宗男の逮捕を主導したのは小泉首相か? では,ホリエモンの逮捕は?


 恐らく,国策捜査の主体は誰もいない。強いて言えば,主体は日本をとりまく「空気」そのものだと思う。


 いわゆる「国策捜査」で逮捕された人はみな,空気が読めなかった。鈴木宗男は,国民の間で高まる排外主義的ナショナリズムの空気を読めないまま,日露交渉を主導したため,断罪された。ホリエモンは反・拝金主義の空気を読めなかった。結局,テレビやワイドショーと国民が結託して作る「空気」に反するKY(空気が読めない)な行為を罰する自動装置というのが,いわゆる国策捜査の本質なのでは,と思う。それなら,国策捜査などと大仰な名前をつけず,「KY捜査」と呼んだ方が実態に合いそうだ。


 ホリエモンの場合は特に,若年層の空気より,ガムシャラに働いてきた40〜50代のサラリーマン層の空気が優先された結果だろう。世代間の空気の衝突が,こんなところにもみてとれる。