【ガジェット】既視感がある「iPhone」

 Apple社のiPhoneが巷を騒がせている。


 iPhoneの発表があった「Mac World」が開催されたころ,僕はラスベガスの家電展示会「CES」を取材していたため,iPhoneを直接見ることはかなわなかった。Mac Worldを取材してきた別媒体の記者から「いや,興奮しちゃったよー。君は行けなくて残念だったねー」とか言われてしまい,かなり悔しい。まあ,YouTubeで補完できるからいいけど。


 さて,そのiPhoneを見た感想なのだが,僕自身はそれほどインパクトを感じることができなかった。負け惜しみじゃなく。


 理由は大きく二つある。


・ユーザーインタフェース(UI)に既視感


 これは,僕がW-ZERO3のユーザーであったり,Sigmarion3のユーザーだったりするためだろう。「タッチパネルを指で操作」「PDFをつまんで拡大」といったUIは,いずれも両機で実現している。


 OS Xを載せてきたのには正直たまげたが,現行のARM系CPUで動いている以上,UIのサクサク感が他のスマートフォンより優れているとは思えない。デモでは極端にUIがもっさりした場面はなかったが,実機でSimbianやLinuxに勝る操作性を実現できているかどうか,疑わしいと思っている。


 加速度センサを使った諸機能も,加速度センサがでてきた当初から言われていた用途であり,Nokia社も似たような研究をしていた。


・発売が6月
 ちょっとこれはApple社らしくない戦略だと思う。Jobsのハッタリが一番効いている今こそ,絶好の商機だったはず。「発表と同時に発売」ができなかったことによる機会損失は計り知れないと思う。


 というのは,UIというものは,外観だけならきわめてマネされやすいからだ。特許でガチガチに固めたUIならともかく,タッチパネルのUIならどの企業も追従できる。例えば,任天堂は「Wii」のUIをギリギリまで公開しなかった(【GDC続報】任天堂取締役社長の岩田聡氏が語る次世代ゲーム機 | 日経 xTECH(クロステック))。

 
 というわけで,6月前後にiPhoneのクローンがわらわら登場して,iPhone自身を陳腐化させてしまうのでは,と僕は危惧している。W-ZERO3ファンの僕としては,それはそれでうれしい世界なのだけれど。


 いろいろ書いたが,ごく一言で言えば「UMPC」の香りがするのである,iPhoneには。いわば「MACを外に持ち出せる」iPhoneは,それはそれでガジェット好きの心を興奮させるデバイスなのだが,MAC以上の存在にはなりえないように思う。iTunesとのリンク機能がある以上,既存のiTunesユーザーの間で売れないハズがないのだが,それだけではちょっと寂しい気もする。高望みしずぎなのかしらん?