【電子産業】何がソニーの「愉快なる理想工場」を壊したのか

 2003年のいわゆるソニー・ショック以来,ソニーの凋落を分析する本が売れに売れた。「ソニー本」なる分野が確立されてしまい,僕にとってはちょっと食傷気味だったのだが・・・


 「技術空洞」が面白かった!


 2000年代以降,ソニー最大の強みだった「愉快なる理想工場」という文化がみるみる失われていく様を,VAIO開発担当者という現場の視点から記した,いわば内部ルポである。ソニー本社の視点から描いた「ソニー本社六階」と合わせて読むと,当時のソニーの変容ぶりが立体的に把握できる。ここ最近,僕は特集関連の取材で技術経営関連の本ばかり読んできたので,こうした現場の技術者の生体験を基にしたビジネス本が,妙に新鮮に感じられた次第である。


 さて,この「技術空洞」と「ソニー本社六階」を読んで何より実感したのが,経営ツールの恐ろしさである。いずれの本でも,経営指標としてEVA,組織構造としてカンパニー制が導入をしたことが,ソニーの文化をバラバラに壊したとの解釈を示し,出井氏や「本社6階」をこき下ろしている。


 もちろん実際には,出井氏およびソニー本社6階の社内コンサルタント陣は,EVAやカンパニー制があくまで「経営ツール」に過ぎない事を理解していただろう。思うに出井氏は,あまりに資本コストや利益を考えずに膨大な借金を作ってしまった当時の役員に対して,一種の「お灸」としてEVAを導入したんじゃなかろうか,と思う。その事が,経営ツールより明らかに上位の概念である「愉快なる理想工場」という企業ビジョンを崩すなんて,考えなかったのではないか。出井氏が目指したのは,EVAとソニーのビジョンとの間で適切なバランスを取る経営だったろう。


 だが,EVAという指標の限界を理解できなかった役員や中間管理職は,その指標に盲従せざるを得なかった。EVA向上のためにソニーのビジョンすらねじまげてしまった。こうした悲劇を生んだ原因の一つが,経営ルールの限界を知る人間と,そうでない人間の埋めがたい壁,情報の非対称性だったのではないか。


 ・・・と書いておいて,なんだが科学者と非科学者との壁に近いものがあるなあ,と気がついた。科学者は,「今の科学ではここまで分かるが,ここからは分からない」という科学の限界を知っている。だが科学の素人には,科学の限界は知りようがない。だから,思考を停止して科学に身を委ねるか(=経営ツールに盲従するか),一切を拒否するか(=会社を辞めるか),しか選択肢が取りえない。原発から遺伝子組み換え,BSEまで,多くの科学関連の社会問題に,同じような構図が見え隠れしている。